ocean看板娘のひなひな日記

ヴァレンタイン・D・クラーク少佐とバレンタインデー
2018/02/16

バレンタイン・デー

 日本では、バレンタイン・デーは「女性が男性にチョコレートを配る日」として、完全に定着している。

これが、初期キリスト教の聖人、聖バレンティノにちなんだ日で、欧米では恋人に花などを贈る日とされていることなどもごぞんじの方は多いだろう。

では、なぜ日本ではチョコレートを贈る日になったかはごぞんじだろうか。

一般には、神戸の菓子屋の「バレンタイン・デーにはチョコレートを」のキャンペーンが全国に広まったものとされている。



しかし、実はこの前の段階がある。


この行事はそもそも昭和21年の今日、進駐軍のバレンタイン少佐が子供たちにチョコレートを配ったという故事に由来しているのだ。


意外と知られてないが、これは事実なのだ。


昭和20年冬、終戦直後の神戸にやってきた進駐軍士官の中に、彼、ヴァレンタイン・D・クラーク少佐はいた。

クラーク少佐は1920年2月14日、ボストンに生まれた。

誕生日の聖人、聖ヴァレンティノにちなみヴァレンタインと名づけられたクラークは、その名の通り慈愛に満ちあふれた青年に成長、陸軍に入隊した後もその性質は変わらず、太平洋戦線で戦ったにもかかわらず、日本人に対して常に敬意と愛情を持って接した。

そんな彼の性格がもっとも表れているのが、このバレンタイン・デーのエピソードである。


詳細


ボストン郊外を見下ろす墓地。

緑の芝生が広がるなだらかな丘に、その墓石はある。

その墓石には2月14日になると、大勢の日本人がチョコレートを置いて祈りをささげていくのだった。

この物語は、今から60年以上前にさかのぼる。


終戦直後、焼け野原となった神戸に、一人の男が降り立った。

進駐軍のヴァレンタイン・D・クラーク少佐である。


彼は1920年2月14日ボストンに生まれ、聖人ヴァレンティヌス司祭(当時結婚が禁止されていたローマの兵士を結婚させていたことで処刑され殉教)にちなんでヴァレンタインと名付けられた。

そしてその名に込められた想い、聖人の守護があったのか、人一倍健康に成長し陸軍に入隊した。

彼は勇敢に戦い、数多くの作戦を成功に導いた。その功績で少佐にまで昇進した。

このように戦局が激化し、数多くの戦場を戦い抜いても、彼の博愛精神に満ちた志は変わらなかった。

しかし、それゆえに彼の心には深い負担がかかっていた。故国を守るためとはいえ(連合軍から見て)敵国である日本人にも置いてきた家族や子供がいるだろう。

いつしか悪夢にうなされるようになり、軍務にも支障をきたすようになっていた。

そして見るに見かねた上官の手によって彼は直接の戦闘部門ではなく、後方で兵站を担当する部署へ転属させられたが、そこでも前線に出た経験から必要な物資や使いやすい梱包等を上申したり、目覚ましい業績をあげたのだった。

終戦後、その手腕を買われ、進駐軍の一員として神戸港から陸揚げされる物資を管理する部門として派遣されたのだった。


少佐は職務上、兵庫県軍政部からGHQ占領下の神戸港(※1)の間をジープで往復する毎日だった。

1945年3月17日の神戸大空襲で焼け野原になった町を見て、少佐は心を痛めた。

だが、次の瞬間、それ以上の衝撃が少佐を襲った。

少佐は手足が枯れ木のように細くなりやせ衰えた日本の子供たちを見て、故国に残してきた息子の事を思い出した。

これではいけない。なんとかしなくては。


悪いことは重なるもので、敗戦の年である1945年は記録的な凶作で米の生産量はわずか587万トンしかなかったのだ。そしてB29から投下された機雷(※2)が日本の周辺海域に残っていたことと燃料が払しょくしていることから漁船も思うように出せず、漁獲高も昭和期最低だった。


一方で、軍の倉庫にはOperation Downfall用(※3)に大量に用意されたレーション類や特に戦線で評判が悪く大量に戻されてきたDレーション(※4)が山積みになっていた。

塀と鉄条網1枚を挟んで食糧が余っているのに、塀の外では子供たちが飢えている。

なんとかできないものかと、ヴァレンタイン少佐は悩み続けた。


少佐は本国に仕送りする分と自分の最低限の生活費を除いた残りのお金でPXでチョコレートやキャンディーを買い、外出時に子供たちに配った。チョコレートやキャンディーは携帯性がよく、またカロリーも高かったからである。


しかし、一人で買える程度のチョコレートでは砂漠にコップの水をまくようなものだった。


倉庫の中には大量の食糧があるのに、それを分け与えることはできない。


いくら余っているとはいえ、軍の管理している物資、合衆国市民の税金で調達した軍需物資を勝手に処分するわけにはいかない。それは軍人として、組織の一員として絶対にできないことである。


だが、それでもどうにかならないものだろうか。いつしか少佐の中には葛藤が生まれていた。


ヴァレンタイン少佐の誕生日であったのは偶然だろうか、翌1946年2月14日、出庫伝票、輸送手段の手配といった周到な準備の上、ついにそれは決行された。

欧州向きに再出荷した10-in-1 food parcelこそなくなっていたが、未だに倉庫に山積みになっていたDレーションバーをトラックに満載し、焼跡の子供たちに配ったのだった。


味は最悪のDレーションバーだったとはいえ、飢えており、ましてやチョコレートなどずっと口にできなかった子供たちにとっては格別の味であったに違いない。ようやく焼跡の子供たちに笑顔が戻ってきた。

この「配給」は2月14日以降も続けられ、子供たちは進駐軍の士官を見ると笑顔になり片言の英語で「Give me chocolate!」言いながらと駆け寄ったという。



しかし、当然ながら、あるべき物資がないこと。そして、軍政部に届いた感謝の声などから、事件が発覚するのは時間の問題であった。

ヴァレンタイン少佐は自らの進退で未来ある子供たちが救われればよいと覚悟の上での決行だったのだろう。

すぐに捜査の手が及び、憲兵が執務室のドアを叩いた時、ヴァレンタイン少佐は静かに立ち上がり、堂々と出頭したという。

そしてヴァレンタイン少佐は余剰とはいえ、軍の管理する物資を横流しした件で軍法会議にかけられた。


これだけ大量の物資を運びだして配布するには当然、人手が必要だったはずである。だが、少佐は協力者については決して語らず、全ての罪を一身に背負った。

私利のための行為でなかったこと、元々余剰の物資であったこと、日本国内からのみならず、本国からも温情措置を望む多くの嘆願書が寄せられたことから、禁固の上、不名誉除隊となった。


このヴァレンタイン少佐の話は進駐軍の将兵にも広まり、自腹でハーシーのチョコレートバーをPXで購入し(※5)、機会があれば子供たちに配り、志を受け継ぐ者が神戸のみならず全国に現れ始めていた。

また、ヴァレンタイン少佐には差し入れやたどたどしい文字で書かれた感謝の手紙なども絶えなかったという。



そのヴァレンタイン少佐の禁固期間は模範囚として短縮され、いよいよ日本を去る日が近づいてきた。

その頃、米国在住の日系人を中心に日本に対する援助が集まり、LARAが設立され、日本に対する援助物資が送られることになった(※6)。

禁固期間を終え、ヴァレンタイン少佐の軍での経歴は終わったが、本国に送還される輸送機に乗り込むヴァレンタイン元少佐はこれで安心して日本を離れられると笑顔であった。


日本の景色もこれで見おさめだと、窓の外の景色を目に焼き付けるかのように見るヴァレンタイン元少佐の目の片隅に昨日まではなかった白いものが映った。

それは、あり合わせの布を一生懸命あつめたのだろう、色の違うつぎはぎだらけの布に、たどたどしい字で「ヴァレンタイン少佐、ありがとう」とはみ出んばかりに大書きされている横断幕と、それを小さな手でつかみ、ちぎれんばかりに手を振っている大勢の子供たちの姿だった。

元気な子供たちの姿を見て、ヴァレンタイン元少佐の目に光るものが流れた。


もう日本は大丈夫だ。時間はかかっても彼らはきっと力強く生きてすばらしい国を作るに違いない。思い残すことはない。そう呟くヴァレンタイン元少佐の乗った輸送機は11月の秋晴れの青空に吸い込まれていった。


(完)


Roses are red,

Violets are blue.

Sugar is sweet,

And so are you.




ヴァレンタイン少佐の博愛精神に感動した人々は、やがて彼を記念して2月14日に(まだ高価だった)チョコレートを贈りあうようになった。


この習慣が広まるにつれ、神戸モロゾフといった地元の神戸の製菓会社も合わせて売り出しを行い応援をすると同時に、売上増を見込んだ。


やがて、バレンタインデーとして全国に広まったが、残念ながらヴァレンタイン少佐に関する話はほとんど伝わらず、チョコレートはいつでも買える値段に庶民化して義理チョコがあふれるなど形骸化してしまった。


ヴァレンタイン少佐の博愛精神をこの国難の今こそ思い出す時だと私は思い、筆をおくのであった。


※1

当時の神戸港は進駐軍の占領下にあり、1952年にメリケン波止場、第1~5突堤が返還されたものも、第6突堤は1969年まで占領され続けた。

※2

チェスター・ミニッツ元帥の指令により、飢餓作戦として航空機雷が多数投下されていた。終戦後になっても、まさに飢餓を助長したのは皮肉なものである。

※3

コロネット作戦、オリンピック作戦と合わせた日本本土上陸作戦が計画され、物資の集積が準備されていたが、日本の無条件降伏により作戦が実施されなかったために余剰となった。

※4

チョコレートと油脂を主体とした高カロリーの非常用戦闘糧食。

チョコレートとはいっても硬く味は二の次だったらしい。

※5

兵士たちが配ったのはPXで入手できたことから、ハーシーのトロピカルバーであったと思われる。

しかし、残念ながらトロピカルバーは惜しまれながら生産終了となった。

※6

ララ物資の第一便が到着したのは、(元)少佐が本国に送還されるのと入れ違いの1946年11月30日のことであった。

お肉食べよ♪お肉!お肉!肉!肉!肉!(^_-)-☆
2018/02/10

ちわ~っす☆ カド太郎です!(´-`*)


先のブログにて、うちの看板娘がご実家に

帰省中なので、それまでカド太郎他、当店スタッフで

看板娘の分までガンバっていこうと思う今日この頃です♪


先日新しくスタッフも加入しましたので、

オーシャンを盛り上げてまいります(*´з`)


あ、そうそう!

この間、カド太郎ある念願が叶いました!

それは、お店の近くにある、焼肉屋に行ってきました♪


前々から気になっていたところで、

是非行ってみたいと思っていました

中々時間が合わなかったりして、ヤキモキしてましたが、

やっと行けまして、食べてきました



いや~、うまかった!の一言です☆

特に、肉やホルモン系の刺身がそこでは食べられるので

久しぶりに食べて感無量なカド太郎( ;∀;)


月一回は焼肉を食べて、体力をつけるのが習慣にしている

カド太郎なので、今回は大満足だす☆


是非、オーシャン立ち寄り後、そこの焼肉屋に寄ってみては

いかがでしょうか

オーシャンお越しになったときにお教えしますよ

というか、当店の並びにあります♪



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(。・ω・)ノ゙ イッテキマ-ス♪
2018/02/06

明後日からまた一週間程帰省させて頂く事になりました看板娘です♡


北海道の綺麗な空気で気管支炎治るかな・・いやむしろ気管支炎じゃなくてネットで調べてみたら咳喘息ってやつかもしれないです(´・ω・`)


1週間×3セットで病院のお薬飲み続けているけどひどくなっている&先生病名はちゃんと言ってくれないんです・・・


いやもしかしてうちのうさぎ君達が換毛期なので毛がすごすぎて咳が!?


こんなにモフモフしてるからな⇩